当山は、人皇第百代後小松天皇の至徳三年(1386年)に,庶民の帰依厚かった開山順誉上人が大聖歓喜天を奉安して愛知郡中村の里に堂宇を建立し、日夜尊天に奉仕され清洲城主をはじめ一般信者日々に増大して興隆しておりました。
その後約二百年を経て徳川氏の慶長遷府令により清洲城下の名古屋移転にともない、後水尾天皇の元和三年(1617年)当時の住僧宥伝上人は伽藍を現在の地に遷され、それより袋町のお聖天様として四囲にひろく知れわたり善男善女の参詣のきびすを接するの盛況を呈しました。
昭和二十年の空襲においても歓喜天霊像御安泰の奇遇により、罹災後も尊天の御加護のもとにいちはやく戦前をしのぐ堂宇が再建され、着々昔日の面影に復し、現世利益の根本霊場としてその信仰は広く霊験はますます威を加えて今日に至っております。
如意山福生院 袋町通本町西へ入北側にあり。真言宗、海東郡蜂須賀村蓮華寺末。
至徳年中、蓮華寺の住僧順誉建立して愛知郡中村にありしを、元和三年こゝにうつす。
本尊薬師如来大聖歓喜天の木造を相殿に安置す。霊験ありて、常に参詣の人多し。
天満宮祠 元和三年中村よりこゝに遷座す。秀吉公の守護神なりと言傳ふ。
「尾張名所圖會」より